香料の道
世界最古の交易路のひとつで2,000kmにわたる香料の道は、アラビア南部とアフリカ北東部にのみ生育する樹木の「涙」のようなろう状の滴りを原料とする豊かな乳香と没薬の樹脂を地中海にもたらしました。乳香と没薬は、古代世界における必需品でした。エジプトではミイラの防腐処理に使われ、ローマやユダヤの神殿そしてキリスト教の教会では薬や化粧品を製造したり、宗教的な儀式に取り入れられていました。乳香と没薬の需要はとても高く、金よりも高い価格で取引されることもありました。それに長く危険なアラビアを通る旅の費用も加えられました。
4,000年以上前に遡る香料の道は、サウジアラビアの西岸沿いを紅海と平行に走っていました。古代の文明社会に生きたナバテア人は、危険の多い砂漠を横断する秘訣を知っていたため、ここを通る商人から莫大な利益を得ていました。ナバテア人は、それを資金に精巧な建物を建てました。その一例が、ユネスコ世界遺産
のヘグラ(別名アル・ヒジュル)で、ここはペトラに次ぐ王国の第二の首都でした。砂岩を彫って造られた清潔感のあるこの街は、今日のヨルダンとの国境に位置しています。
現在ここに残っているのは、岩肌にまっすぐに刻まれた100を超える保存状態の良い墓。当時のままの姿で、ローマやギリシャの影響を強く受けたナバタイ人の葬儀の象徴で飾られています。これは交易路において様々な文化が交わったことの証です。ナバテア人はまた建築と同様に、素晴らしい集水や貯水の設備を作り、砂漠での危険性を回避することを学びました。おかげで周辺の街が栄え、農業が発展し、住民はもちろん、短期滞在の旅行者のための食糧も生産することができるようになりました。
古代ローマ人は、紀元1世紀にアラビア南部を征服した際、この地に交易により莫大な富が集められたことから、この地を「幸せなアラビア」を意味するアラビア・フェリックスと呼びました。しかし、船乗りが得意であったローマ人は、地元の知識に乏しく砂漠の地に対応できなかったため、より簡単な海上輸送による交易路の開発に着手しました。