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長年にわたってタブーク州は巡礼者、商人、旅人たちを迎え入れてきました。かつてエジプト、ヨルダン、マディーナの間の古代巡礼の中継地であったタブークには、ビザンチン帝国からの移住者もやって来ました。チャールズ・ダウティ(Charles Doughty)などの有名な探検家がこの地域の記録を残しており、今日でも考古学者や旅行者にとって夢のような探検の土地であり続けています。
タブークの歴史は、かつてこの歴史的な地域を往来した旅人が残した廃墟や遺物に包まれています。
訪れた人の興味をそそる、水没しかかった難破船ゲオルギオス G.は、長い間、地元の都市伝説の対象となってきました。しかし、ここでその真実をお話しします。これはもともと英国で造られた定期船で、その所有権はいくつかの事業体に引き継がれました。1977年の初め、この船は小麦粉を輸送するギリシャの会社が所有していましたが、不幸な運命のいたずらで、事故の直前にサウジアラビアの実業家が購入してしまったのです。
船はサウジアラビア沖のサンゴ礁で座礁し、動かなくなりました。船員たちが再びエンジンをかけようとしたところ火花が発生して火災を引き起こし、沈没するまで数日間続きました。
かつて存在した大規模なヒジャーズ(Hijaz)鉄道は1908年に正式に開通し、ヒジャーズ地方を通ってダマスカスとメディナを結んでいました。8年の歳月をかけて敷かれた全長1,320kmの鉄道は、もとはダマスカスを出発し聖都のマッカとメディナに向かうイスラム教巡礼者の移動を高速化するために設計されました。地形上の理由により建設には多くの課題が生じ、軌道の一部にトンネルと長い橋の両方を建設する必要がありました。いくつかの駅も線路沿いに作られ、旅人に物資や水を供給しました。この鉄道は、いくつかの破壊に耐えました。最も顕著なものは、第一次世界大戦時に行われました。線路の一部がT.E.ロレンス(別名:アラビアのロレンス)とその支持者により攻撃されたのです。この鉄道は計画の開始から20年も経たない1918年までに廃墟と化し、線路は1920年までに非公式で廃線となりました。博物館内には往時のアーチファクト、手書き原稿、写真などが数多く展示されています。鉄道時代のものもあれば、それよりはるか昔のものもあります。
透き通った海に囲まれた手つかずの海岸沿いにある残骸。カタリナ水上機(Catalina Seaplane Wreckage)は1960年に着陸し、乗客の米国人家族は後に発見されジェッダの米国大使館に輸送されました。
マクナやワディ・アルディサから南に向かうなら、ドゥバ(Duba)に立ち寄りましょう。
メディナから車で西へわずか数時間の港町ヤンブーは、2つの街に分かれています。石油精製所やプラントのある南部の新市街と、古代のスパイスルートの中継地点だった北部の旧市街です。
ジェッダの北100kmにあるキング・アブドゥッラー・エコノミックシティ(KAEC)は、壮大な計画を持つ新しい都市です。
ジェッダの非公式のスローガンは「Jeddah ghair(ジェッダは他と違う)」です。商人、国際的なアーティスト、メッカへの巡礼者など、この港町ほど、古代から長きにわたって外部の影響を受け入れてきたサウジアラビアの都市はありません。
ターイフまでの道のりがすでにスリリングです。谷底にあるメッカから、美しく曲がりくねった道が山を上り、果物市場やバラ園、深い渓谷を通り過ぎて、ターイフのある高原へと続きます。
アル・バーハへの旅では、黄土色の砂漠のイメージとは異なるサウジアラビアを体験できます。高地にあるこの街には、古代の塔、緑豊かな森、曲がりくねった渓谷があります。
霧の街として知られるアル・ナマス。街の周辺には野生の自然が広がります。
ジュニパーの木とゴツゴツした岩山に囲まれた標高の高いタノマ(Tanomah)には、石造りの家とミナレットが立ち並び、街の中心に滝があります。
サウジアラビア最高峰の3000メートル地点に位置する、ジュニパーの木に覆われたアル・ソウダの村は、サウジアラビアのアウトドアアドベンチャーの中心地です。
紅海沿岸地域の南端にあるアブハーは、アスィール地域の文化の中心地で、サウジアラビアの山岳地帯を探索する拠点としても最適です。